病床からの京都大学受験記
◆chap5 〜lapse〜
――4月下旬にダウンしてから、1ヶ月が経とうとしていた。
この間、私の病状は、ごく短期的に少しだけ回復してはすぐに悪化する、というような状態を繰り返していた。それに従って、クスリの量も「順調に」増えていった。
悪化の原因の一端がパソコンとインターネットでの人間関係にあると判断した医者からは、「無期限パソコン禁止令」なるものまで出されてしまい、これがさらに私を追いつめた。
なにしろパソコンは、その頃の私に残された唯一の外部との接点だったのだから…。
「禁止令」発動の前日、一番の友人に電話をかけた。
――そんな訳で明日からしばらく、連絡取られんくなるわ。…ゴメン。
治るまでは、チャットもメールも出来ないし、誰とも会えない。
それを思うと、取るに足らない内容を伝えるだけなのに、涙をこらえるのに精一杯だった。
普段の生活では、パニック発作こそ起こさなかったものの、目眩・吐き気や動悸といった、自律神経失調症の主症状は頻発しており、身体は歩くことすら辛いというところまで衰弱していた。
一日の半分以上を布団の上で過ごし、家からは殆ど出られず、しかもパソコンで時間を潰すことも出来ず…。元気な時であれば読書くらいは出来たのだろうが、その意欲すらもなかった。
もちろん、登校どころではなかった。
この1ヶ月間で登校したのは、模試のあったGW明けの2日間と、比較的調子の良かった1日の計3日だけ。しかも全て、大幅に遅刻しての登校だった。
身体面で一番辛かったのは、「不眠」である。
とにかく、まとまった睡眠時間が摂れなくなっていた。
晩、上手く寝付くことが出来ても、およそ1時間半、ないし3時間後には必ず目が醒める。再び意識を飛ばしても、また1時間半〜3時間後に目が醒める…。睡眠が浅すぎて、レム睡眠の周期ごとに目が醒めていたのだろう。毎晩毎晩、この繰り返しであった。
不幸中の幸いといっていいのかどうかはわからないのだが、この睡眠の浅さのおかげで、明晰夢を観ることが増えていた。そのため、目が醒めるたびに、枕元のノートに夢の内容などを書き記していたのだが、その記録を見返してみると…。
一晩に5回以上覚醒していることがあったり、『3時間眠れた』と喜んでいたり、『4時間半連続で眠りたい…』と連日のように書いていたり。なかなか酷い状態が続いていた。
しかし、そんな私に、ようやく一筋の光が射した。既に5月も終わろうとしていた。
◆chap6 〜salvation〜
――5月24日。
父の紹介で、思春期外来が専門の精神科医のところへ転院した。
私自身には特に転院したいという意思があった訳ではないのだが、どうやら父が元の担当医に対して不信感を抱いていたらしい。
まぁそんな経緯はさておき、結果的には、この転院が私の病状を快方へと向かわせた。
最初に、体調を崩してから初めて、私の“不調”の原因についての説明を受けた。(ちなみに元の担当医は、病状についての説明はしてくれたが、思い返してみると原因については全く言及しなかった。稀なケースであったそうだから、ひょっとしたら全くわからなかったのかもしれない。)
こんな話だったように記憶している。
「アスリートが筋トレなどで身体の一部分だけを極端に鍛えすぎると、そのせいで別の箇所に肉離れを起こすことがあります。アタマについても同じようなことが起こり得ます。nagataさんの場合は、アタマの一部分を鍛えすぎたので、アタマの未発達な別の場所に不具合が起こっている訳ですね」
つまりは、<勉強のし過ぎでアタマに負荷がかかりすぎて、他のところにガタが来た>、ということらしい。
…何なんだ、この洒落になってない状況は。一応コレでも、受験生の端くれだぞ?
ということで、治療方針を早速決めていった。
まず、抗鬱薬を減らし、代わりとして「ツワリによく効く」という漢方薬を対症的に飲むことになった。
次に、「身体のリハビリから始めましょう」ということになり、毎日の散歩が日課となった。
さらに、勉強の時とは違う部分を使うように、「浅く広く趣味を持ちなさい」という指示をもらった。
2回目か3回目の通院時には、「やり過ぎないように」との注意の下、「パソコン禁止令」も解いてもらえた。
個人的にはこれが一番嬉しかった。ほんの十数日間のことであったが、外界(友人)との接触を絶たれるのは、かなりこたえていた。
真っ先に「禁止令」発動前に電話した友人と連絡を取り合ったのは、言うまでもない。
さて、「浅く広く趣味を持つ」…この指示を受けて翌日から、カラオケをしたり料理をしたり、声楽の真似事をしたり模写をしたり、マンガを読んだり『マリみて』に染まったり…。それまでは考えることさえ出来なかったほど、意欲的に色々なことをするようになった。
最初の通院の翌々日には、卒業アルバムのクラス写真の撮影のため、久し振りに学校へ行った。
担任との面談の中で「1学期一杯休み続けても卒業に問題は無い」ということを確認。当分の間は回復に専念するように、と各方面から言われたので、ありがたく従っておくことにした。
とにかく、ようやく人間らしい生活に戻りつつあった。
◆chap7 〜breathing〜
――世間の受験生が夏休みに入った頃。
私は、相変わらず“リハビリ”に励んでいた。
5月末に転院し、新たな治療方針が決まってからは、
とにかく「身体をある程度の状態まで戻し」「勉強から離れる」ことが最優先事項だった。
身体の“リハビリ”は、家の近くを散歩することから始まった。
それまではほぼ毎日家の中にこもり、ごく稀に学校へ(傘を杖代わりにして)行く程度であったから、たかが散歩とは言え、当時の私にとってはかなりの運動量だった。
最初の日は、予定していたコースの半分も行かないうちにギブアップ。時間にして30分弱、距離にして1kmにも満たなかった。
一番つらかったのは、自律神経系が狂っていたために、汗の分泌が不安定だったことだった。
とにかくその頃は、汗をかく量が尋常ではなかった。まだ梅雨が明ける前に、普通に歩いていただけだったにもかかわらずである。
脱水症状を起こさないように、用心してペットボトルに水道水を入れて持ち歩いていたのだが、休憩を入れて1時間半ほどの外出に対して、500ml×2本を携帯していてもまだ不安なほどだった。
帰宅時には、Tシャツ・下着だけではなく、その上のジーンズまでもが汗でズブ濡れの状態だった。
それでも、毎日の“リハビリ”で体力が戻っていくに従って、徐々に距離が伸びて行き、次第に「散歩」から「ウォーキング」と呼べるようなものになっていった。
そして、精神の“リハビリ”の方はと言うと。
こちらは、「浅く広く」という指示の下に始めた趣味のうち、私が特にドップリとはまりこんだ2つの趣味によって進んでいった。
(ちなみにそれ以外の趣味は、殆どが1ヶ月ともたずに自然消滅した。まぁ当然と言えば当然ではあるが。)
1つは、ライトノベル『マリア様がみてる』。そしてもう1つが、某MMORPGである。
『マリみて』は、既刊全17巻(当時)を6月の初めから1ヶ月強で買い揃え、全巻通しで最低3回、一部の話は文字通り「数え切れないほど」読んだ。
個性的で魅力的なキャラクターたちの恋愛物語(←ツッコミ禁止。)は、私にとって「癒し」そのものだった。
もう一方のネトゲは、毎日5時間はコンスタントにプレイし(10時間近くやっていた日もあった)、3ヶ月ほどで最強パラメータに達したほどだった。
ネカマキャラ『mikika』としてではあるが、沢山の親切な人たちと出会い、人間関係を築くことが出来た。本当に運が良かったと思う。
そんな訳で、世間の受験生が夏休みに入った頃の私の生活はどんなものだったかというと…。
・朝、8時〜11時頃起床。(一時期ほどではないものの、相変わらず睡眠リズムは不安定だった)
・食後しばらく『マリみて』を読んでから、ウォーキングへ。
・その途中、公共施設で休憩がてら再び『マリみて』を読む。
・帰宅後、昼食までネトゲ。昼食後はネトゲか『マリみて』。夕食後も同様。
・そしてHP×2(内輪日記サイト・ネトゲのファンサイト)の更新後、就寝。大体23時〜24時過ぎ。
客観的には、いわゆる“ヒッキー”と何ら変わりの無い生活だったのだが、
何はともあれ「勉強から離れる」という目標は、完全に達成されていたようだ。
8月、身体がだいぶ戻った頃には、主治医の提案で鉄道旅行にも出かけた。
日帰りで2回(兵庫県内・名古屋)、そして、2泊3日で1回(四国〜山陰方面)。
さらに8月下旬には、ネトゲのオフ会にも出席した。
私のことを女性だと信じ込んでいた人たちの驚く顔は、期待以上に愉快なものだった。
このあたり、「17の夏」をイヤと言うほど満喫出来たように思う。
勿論、鬱へとベクトルが振れることもまだまだ多かったが、
その頻度は徐々に少なくなり、振れ幅も回を追うごとに小さくなっていった。
「日常生活から完全に離れ、脳の受験勉強に使う部分を休め、使わない部分を働かせる」
…この治療方針は一貫しており、病状はどんどん快復の方向へと向かっていった。
そして8月末、身体と精神とがそれなりの状態まで戻り、
――ようやく、受験勉強を再開することが出来た。
◆chap8 〜recovery〜
――9月。
数ヶ月のブランクを経て、遂に登校&受験勉強を再開した。
とは言え、まだ身体の回復は思わしくなかったため、
登校時刻は早くても10時頃だったし、週1〜2回ペースで欠席していた。
身体と同じく、アタマもまたかなり衰えていた。
担任の協力により、“リハビリ”のための図書室登校が認められたので、
まずは短時間の軽い勉強(『速単必修編』の英文を読むなど)からスタートした。
この時点では、10月末の全統マーク模試でA判定を出すこと、
そして、2ヵ月後の11月上旬に教室復帰することの2つを目標としていた。
10月上旬。
アタマも身体も、徐々にではあるが回復してきていた。
が、一時期に比べればだいぶマシになっただけという程度。
精神的に落ち込むことも多く、教室復帰には程遠い状態だった。
最後の全統マーク模試へ向けて、日史・古典の勉強を再開。
10月下旬。
2学期中間考査・全統記述模試と立て続けにキャンセルし、万全の態勢で全統マーク模試を受験、大成功。
ネトゲでの活動を制限したり、このブログを始めたりしたのもこの前後のことである。
11月上旬。
体調が安定しなかったため、目標としていた教室復帰は先延ばしに。
下旬に控えた京大実戦模試へ向けて、英語・理科の勉強を再開。
11月下旬。
全統マーク模試返却、A判定獲得。
そして京大実戦模試受験。本格的な模試に挑むのが久し振りであったにしては、まずまずの出来であった。
ここまでは、いたって順調に合格へ近づいてきたのだが…。
受験の前に、もう1つの関門が待ち受けていた。
――それは、「卒業」。
すなわち、点数と単位、そして出席日数である。